記者は「長いことお疲れ様でした」の一言がなぜ言えないのか
安倍首相による8月28日の突然の辞任発表。この記者会見で首相に「お疲れ様でした」と言った記者は一人だけ、「お大事にしてください」と言った記者はだれもいなかったことについて、一斉に批判の声が上がった。
「記者である前に人としてどうなのか」「マナーがない」との批判
たとえば元大阪府知事の橋本徹氏は、テレビ番組に出演して「メディアは権力をチェックすることが柱としてはあるが、政治家だって人間。記者たちは『権力を批判するために来てるんだ』という態度だったが、『お疲れさま』くらい言えないものか」と怒りをもって批判した。一般の人々からも週末、ネットで「自分が記者であるよりも先に、人としてどうなのか」「冷酷無比な記者ばかり」「マナーがない」との声が飛び交った。
メディア側「緊張関係を維持するため、ねぎらいは不要」
一方、メディアの側からの反論もあった。日刊スポーツのK氏は「記者らは自民党の同僚議員ではない。政権の最高責任者に対して権力の監視をする記者が、会見という公式の場で『お疲れ様でした』『ご苦労様でした』とねぎらいの言葉を発するのは、立ち位置が損なわれるし、違和感がある。(「お疲れ様でした」と言うべきと主張する一部メディアの)なあなあ主義は、記者クラブ制度のあしき慣習から生まれるマナーのない緊張関係を維持する覚悟のない御用記者の心情だろう。会見後や懇談の機会に存分に思い出話や体を気遣い、労をねぎらえばいいが、会見での対応をマナーの欠如や堕落した日本人の象徴のように言うのは大きな違和感を覚える」と書いた。つまり政府のトップとメディアは緊張関係にあるのであって、少なくとも公の場では仲間同士のように慰労したり体を気遣ったりすべきではないという主張だ。
自分の過去を振り返ると会見でねぎらった記憶はないが・・・
両サイドの主張を並べると、いずれももっともなところがある。
私もかつて新聞記者だったとき、記者クラブに所属して大臣の定例会見に臨んでいた。そのときはどうだったろうかと思い返してみた。大臣が退任するとき、自分は慰労の言葉をかけただろうか。周囲にねぎらいの言葉を述べる一人、二人のベテラン記者がいたかもしれないが、若手であった私は公の記者会見の場ではあまり言った記憶がない。記者の仕事の真骨頂を見せるため、慰労の言葉よりも、良い質問、真実を引き出す質問をするほうが大事だという意識が強かったように思う。時間が限られているので、自分の仕事に集中すべきという考えはあった。大臣に厳しく突っ込んだことが多かったが、常に対決姿勢でいなければならないという考えではなく、是々非々のスタンスだった。
といっても、日刊スポーツ氏の意見に全面的に賛同するものでもない。当時も、わざわざ、ねぎらいの言葉を述べるベテラン記者もいたが、それに対して批判的な気持ちは毛頭なく、むしろ余裕のある素敵なキャラクターだなと感じていたかもしれない。
記者会見の記者も「見られる存在」となったが、その影響は?
さらに近年は、今回の首相辞任会見のように重要な記者会見がテレビやネットで中継されることが増えてきたことから、またSNSの普及により、多くの視聴者、ネットユーザーがリアクションを示すようになった。記者もまた見られているのである。記者の質疑が国民から拍手喝采を受ければ、その記者や所属するメディアの評価も上がることになる。国会質疑のパフォーマンス効果と同じである。
「そんなことは記者の仕事ではない」とメディアが言うのは自由だが、重要記者会見での記者の一挙手一投足が多くの人々に見られ、さまざまな心証を抱かれているのが現実である。
記者会見のこのパフォーマンス的側面を大いに計画的に利用して、反権力的な視聴者からの拍手喝采を獲得したのが東京新聞の望月衣塑子記者である(自民党支持者からはそれと同じくらい不興を買ったかもしれないが)。
記者にもパフォーマンス力が求められるようになった
記者と言う人々は書く職業であるため、プレゼン力、見せる力は比較的弱い人が多い。だが、日本でもごくわずかではあるが、権力者の良いところを誉めたり同情を示したりしつつも、急所をぐさりと突くような、それでいてくすっと笑わせたり、深くうなずかせるような、天性のパフォーマンス性を持った記者も存在する。欧米にもそんなベテラン記者はいるはずだ。そんなジャーナリストは、見せることに重点があるテレビ界にとくに多いだろう。
重要記者会見が国民に開かれたものになるのは、民主主義にとって大変すばらしいことだ。そして、それに伴って、記者も国民に見られても恥ずかしくない質問、いやむしろ国民に感銘を与える質問をすることが求められるようになってきたのではないかと、私には思える。ナマの人格が伴ってこそ、その人が記事を書く新聞やテレビを信頼しようという気になるものだ。
少なくともベテランでないとうならせる質問はむずかしい
マイクロソフト日本法人元社長の成毛眞氏がSNSに書いていた。「それにしても新聞屋、テレビ屋というのは傲慢で愚かだ。各社とも新人に毛の生えたような質問原稿を読みあげるだけの記者を憲政始まって以来の長期政権になった総理の最後のたった一回の会見に送ったのだ。本物のジャーナリストにとってこんな取材チャンスなどない。他の国では考えられないと思う。政治部長レベルが部下を押しのけても会見に臨むべきだった。未熟な官邸記者が愚かなのは、質問の前に『長い間、お疲れさまでした』『いまの体調はいかがでしょうか』などと短い前置きするだけでもっと聞けるかもしれないのだ」。実にもっともな指摘である。若手の未熟練な記者が世間や首相をうならせる質問がそうそうできるものではない(ベテランならできるというわけでもないが)。(高橋眞人)