就職面接を何度受けても落ちる人がいるのはなぜなのか
就職活動で何社受けても、面接が苦手なため、落ち続けてしまう人が結構いるものです。私が新卒で就職活動をしたときも、たしかにそのようなタイプの人を見かけました。その後の人生を大きく左右する就職活動ですから、面接が苦手な人にとっては、悩みは本当に深刻です。就職活動で失敗して、自信を失い、自殺してしまう若者までいます。
私自身もかつて、マスコミへの就職を目指す学生たちへの作文と面接の指導を10年近くもしていたことがありますので、面接が下手な学生たちを数十人、数百人も見てきました。マスコミの面接試験はむずかしい質問が多く、ほかの業種の面接に比べても難関です。(そして、かつて指導した学生たちが今では計100人以上も新聞社、通信社、テレビ局、出版社、制作会社等に入社し、活躍しています)。面接が苦手な方々が中途採用面接を受ける前にアドバイスをしてあげたことで、見事合格したというケースも少なからずあります。
これではどうみても落ちるという学生が多い
しかし、声が小さくて、何を言っているかよく分からない人。声も表情も暗くて、いかにもネガティブな印象を与える人。自分の長所をアピールしなければならないのに、弱点ばかりを自ら言ってしまう学生。聞かれたことにぼそぼそと答えるのが精いっぱいで、入社への意欲がまったく伝わってこない学生。社会的にとても受け入れられないような偏った信念を語る学生。第一志望だと言っているのに、平気でその企業の批判を行う学生。「ぜひ入社したい」と意欲は見せているのに、その業界、その会社のことをまるで調べていない学生。
編集者になりたいというのに、自分の性格の良さしか話さない学生。記者になりたいと言うのに、何を聞いても、たわいもない外国旅行の話かサークル活動の話しかしない学生。「どうしても入社したい」と言っているのに「転職する可能性もある」と本音を言ってしまう学生。改善の指摘をすると、「相手にどう思われようと、自分を取り繕うのは嫌だ。素のままの自分で臨みたい」と開き直る学生・・・。
面接で自分を売り込むことがどういうことかわかっていない
つまり、ベテランの社会人を前にして自分をアピールする、売り込むということがどういうことなのか、まるで分かっていないということです。そもそも、学生の目線と、社会人の目線は異なっているのです。まあこれは、当たり前と言えば当たり前です。学校で、だれもそんなことを教えてくれる人がいなかったのですから。
日本経団連の調査結果 を見ても、企業が採用の際に最も重視する点として「コミュニケーション能力」を挙げている企業が82.8%と最も多くなっています。その学生のコミュニケーション能力を見るのが面接試験というわけです。つまり、なんといっても面接試験の出来が、学生が希望の職業、会社に就けるかどうかを大きく左右しているのです。
日本の大学は学生のコミュニケーションスキル向上に役立っているのか
それでは、日本の学校は、学生・生徒が大事な就職活動を突破するために、どのような支援をしてくれているでしょうか。大学や高校で、もっとも大切な面接の練習の機会がまったく与えられないまま面接試験にチャレンジし、あえなく玉砕している学生が多いのが実態ではないでしょうか。
そんな人々も内心ではみな思っているはずです。「俺は中身はちゃんとあるんだ。それが上手く話せなかっただけなんだ」と。小1から高3までで12年間、大学卒業までなら16年間も学校に通ったのに、です。その間、学校は何を教えていたのでしょうか、という話です。
いったい学校は、なんのためにあるのでしょうか。それがそもそも、私の大きな疑問です。基本的には、学生・生徒がスムーズに社会人としてのスタートを切り、その後の人生に必要な知識・スキルを伝授するためなのではないでしょうか。それなのに、なぜ就職活動でもっとも重要な面接対策を、学校ぐるみで、もっとしっかりさせてあげないのでしょうか。
学校ではほかに学ばせることがたくさんあって、そこまで手が回らないからでしょうか。昔から決まった科目を教えることが学校の仕事なのであって、面接などは自分で練習するものだ、という考え方なのでしょうか。それほど面接試験の出来が学生のその後の人生を左右し、また社会人としての成功もそのコミュニケーション能力にかかっているのに、でしょうか。
本当に中身さえ良ければ結果はついてくるのか
「中身さえ身に付ければ、話し方などは自然と後からついてくるものだ」との信念が教育界の趨勢だからでしょうか。それなら、なぜ学校を卒業しようとする若者たちの多くが「面接が苦手だから」といって、就職試験に落ち続けるのでしょうか。本当に中身さえ付けば、コミュニケーションが上手くなるものでしょうか。
パブリック・スピーキングの学校への導入が日本の課題
私は常々、パブリック・スピーキング(人前で論理的に話すスキル)の教育を日本の学校に導入することを提案してきましたが、面接もまた、「人前で論理的に話す」という意味で、「パブリック・スピーキング」の範疇です。スピーチも面接も、上手に行うために必要な要素の多くは共通しています。スピーチも面接も相手を説得し、ある行動をとらせることが目標であるという点で、まったく同じなのです。相手を説得するのが目標であれば、相手のことをよく知らなければならないという点も共通です。
しかも、昨今、企業は面接試験を通じて、本当に優秀な学生を選抜するため、練りに練った質問を浴びせてくるようです。たとえば、世界でももっとも就職人気の高いグーグルは、入社志望者に、その人の考え方の真の優秀さを問う、答えるのが非常にむずかしい、ジレンマに置かれたときの行動について質問するといいます。こうした傾向も考えると、ノウハウ本に載っている想定問答を丸暗記しただけでは、到底太刀打ちできず、スピーチ・ライティングも含めた本格的な対策を行わなければならないでしょう。
昨今の大学では、就職部などのサービスとして、希望者に対して面接練習を施している例も増えているでしょう。これは大変結構なことです。高校の一部でも面接練習をするところはあるでしょう。けれども私が思うには、人前で話をする訓練(スピーキング教育)は、就職活動直前の一時期だけに行えば良いわけではなく、もっと幅の広い、社会人人生に必要な重要なスキル獲得のための必修ステップととらえるべきではないかと思えます。
会議での発言もパブリック・スピーキングのスキルでぐっとよくなる
新卒者が会社に入社すれば、今度は多くの企業で「会議」がありますね。ホワイトカラー職場でも、ブルーカラー職場でも、大抵の職場には会議があります。会議に参加し、よく人の発言を聞き、自分も良い発言をして会社に貢献することは、非常に大事なことですよね。この作業も「人前で論理的に話す」という意味で、パブリック・スピーキングの範囲内なのです。でも、学校で「会議への上手な参加のし方」なんて教える科目が存在しているでしょうか。あるとすれば、これも「スピーキング」です。
ほとんどの学生が就職に伴って面接試験を受けなければならず、入社すればしたで、会社の会議に参加させられるこの時代です。さらに学生たちが卒業後、あるいはしばらくしてから海外に雄飛していく場合、コミュニケーション能力の必要性はますます高まります。欧米社会では、「話さなければ分からない」「話さないやつは無能だ」と考えている人が多いのです。
学生の就職活動を容易にするため、たしかに学校で英語を教え、英語が流暢に話せるようになれば、就職活動は有利になるケースが多いでしょう。それは非常に重要なことです。しかし全員が全員、英語を使う職場に就職するわけではありません。しかし、ほとんどの学生は面接試験を突破しないことには就職に成功することはできず、就職した後も、人前で話す機会が社内会議をはじめとして、山ほど待っているのです。
就職面接や国際社会での発言の準備の意味も含め、日本の学校への「パブリック・スピーキング」教育の導入は、早期に実現していただきたいものです。(高橋眞人)